東京地方裁判所 平成8年(ワ)6738号 判決 1998年6月26日
原告
相京百合子
右訴訟代理人弁護士
渥美雅子
被告
豊商事株式会社
右代表者代表取締役
多々良實夫
右訴訟代理人弁護士
吉田訓康
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
被告は、原告に対し、四〇〇〇万円及びこれに対する平成八年四月一八日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 事案の骨子
本件は、商品先物取引の受託等を業とする会社である被告の顧客である原告が、被告の支店長に対し合計七〇〇〇万円を預託したと主張して、主位的に、被告との金員預託契約に基づいて、右預託金のうち四〇〇〇万円の返還及び右四〇〇〇万円に対する平成八年四月一八日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、予備的に、使用者責任に基づいて、右預託金と同額の損害を被ったとして、そのうち四〇〇〇万円及びこれに対する平成八年四月一八日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
二 原告の主張
1 主位的請求(預託金返還請求)
(一) 原告は、平成七年三月二〇日ころ、被告の従業員である甲野一郎(以下「甲野」という。)から、元本保証の金融商品に投資するよう勧誘を受けた。
そこで、原告は、右勧誘に応じ、同年三月二四日に一〇〇〇万円を、同月二七日に四〇〇〇万円(送金額は振込手数料を差し引いた三九九八万八五五八円)を第一勧業銀行千葉支店の甲野名義の普通預金口座(以下「甲野の個人口座」という。)に送金した。
(二) 原告は、同年四月二二日か同月二三日にも、甲野から、元本保証の金融商品に投資するよう勧誘を受けた。そこで、原告は、右勧誘に応じ、同月二八日に一〇〇〇万円(送金額は振込手数料を差し引いた九九九万九四八五円)を甲野の個人口座に送金した。
(三) 原告は、同年六月一三日ころ、甲野から元本保証の金融商品に投資するよう勧誘を受けた。
そこで、原告は、右勧誘に応じ、同日ころ、二〇〇〇万円を甲野の個人口座に送金した。
(四) 以上のとおり、原告と被告との間には、金員預託契約が成立した。
(五) 原告は、平成八年一月三〇日、被告に対し、預託金七〇〇〇万円の返還を催告した。
(六) よって、原告は、被告に対し、金員預託契約に基づいて、右預託金の一部である四〇〇〇万円及びこれに対する平成八年四月一八日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 予備的請求(使用者責任)
(一) 甲野は、原告に対し、高利回りの元本保証の金融商品があると虚偽の事実を述べ、右商品に投資するよう勧誘した。
(二) 原告は、右の勧誘にかかる金融商品が現に存在すると誤信し、甲野に対し、前記1(一)ないし(三)のとおり送金した。
(三) 甲野は、原告からの預託金を自ら費消してしまい、原告は右金員の返還を受けることができなくなった。これにより、原告には、預託した金員と同額の損害が発生している。
(四) 甲野による右(一)の行為は、被告会社の職務の範囲内の取引と信ずる外観を呈していた。
(五) よって、原告は、被告に対し、民法七一五条の使用者責任に基づき、原告の被った損害の一部である四〇〇〇万円及びこれに対する平成八年四月一八日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 被告の主張
1 主位的請求(預託金返還請求)
被告は、原告から前記二1(一)ないし(三)記載の金員の交付も、金員の預託も受けたことはない。
2 予備的請求(使用者責任)
(一) 予備的請求(一)(二)の事実は否認する。
原告は、甲野にだまされて資金を提供したのではない。原告は、甲野の不正な資金運用計画に加担したもので、甲野の行為はそもそも不法行為にならない。
(二) 仮に、原告がだまされて甲野に対し資金を提供し、甲野について不法行為が成立するとしても、原告は、甲野に個人的に貸付けをしたのであるから、予備的請求(一)の甲野の行為は、外観上被告の職務の範囲内の行為であるとはいえない。
(三) 仮に、甲野の行為が外観上被告の職務の範囲内の行為であるといえるとしても、原告は、右行為が被告の職務の範囲外の行為であることを知っていたか、又は知らなかったことに重過失があった。
四 争点
1 主位的請求について
原告と被告との間に、原告が甲野に交付した金員について、金員預託契約が成立しているか。
2 予備的請求について
(一) 原告は、甲野にだまされて、被告に対し預託するつもりで、甲野に金員を交付したのか(原告の主張)。それとも、原告は、甲野の不正な資金運用計画に加担することを知って、被告に対してでなく、甲野に対して、預託するつもりで、甲野に金員を交付したのか(被告の主張)。
(二) 原告が甲野にだまされていたとして、甲野の行為は外観上被告の職務の範囲内の行為であるといえるか。
(三) 甲野の行為が外観上被告の職務の範囲内の行為であるとしても、原告は甲野の行為が被告の職務でないことを知っていたか。
(四) 原告には、甲野の行為が被告の職務の範囲内でないことを知らなかったとしたら、知らなかったことについて重過失があったか。
(五) 原告の損害額はいくらか。
(六) 原告について、どの程度過失相殺すべきか。
第三 当裁判所の判断
一 事実関係の認定
証拠(書証の場合には、枝番(算用数字で表記)があるものについては、特に断らない限り、枝番号全部を含む。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認定することができる。
1 商品先物取引の手続及び当事者
(一) 委託者(顧客)が商品取引員に対し商品先物取引を委託するには、一定の委託証拠金を預託する必要があり、証券取引員は、これに対し、委託証拠金預り証を交付する。
商品取引員が、委託者の注文に基づき、商品を売買した場合には、委託者あてに「売買報告書および売買計算書」を発送する必要がある。また、商品取引員は、毎月末に、委託証拠金総額、委託者の有する建玉の明細、値洗い額を記載した「残高照合通知書」を送付しなければならず、委託者は残高照合通知書の記載内容の間違いの有無を確認し、残高照合回答書の回答欄に間違いの有無のいずれかに印しを付して、商品取引員に送付することになっている。
(乙一八、一九)
(二) 被告は、商品先物取引の受託・取次・売買等を業とする株式会社で、日本橋に本店を置くとともに、全国十数か所に支店を置いている。
原告は、被告の顧客となったもので、昭和三年七月一五日生まれの事件当時六三歳の主婦であり、長女相京初枝とともに酒類の販売等を業とする有限会社相京商店(以下「相京商店」という。)を経営している。
(争いがない)
2 甲野に対する金員預託までの経緯
(一) 甲野は、平成元年春ころ、被告の千葉支店に勤務していたが、上司とともに原告方を訪れ、原告の夫である相京利美に対し商品先物取引の勧誘を行った(甲一一、原告本人)。相京利美は、右勧誘に応じ、被告との取引を開始し、平成三年七月二五日に死亡するまで被告との取引を継続した。(乙一の1ないし130)。
(二) 原告は、平成三年九月ころ、被告の従業員である安野雅夫(以下「安野」という。)に対し、「自分も取引をやってみたい。」と申し出た。被告では、無収入の女性の取引を断っていた(原告は収入のない主婦である。)が、安野は原告が相京商店の代表者の地位を引き継ぐことで、原告に対し、相京商店名義で取引するならば取り引きすることができると述べた。
そこで、原告は、平成四年一月一六日、被告に対し委託証拠金五〇〇万円を預託し、相京商店名義で取引を開始した。
(乙八の1、乙二二、証人安野、原告本人、弁論の全趣旨)。
(三) 相京商店名義の取引は、平成五年四月二六日まで継続し、右取引により原告は、結局のところ、二二一四万一四六九円の損失を被った(乙二の1ないし29)。右取引については、原告のもとに「売買報告書および売買計算書」、「残高照合通知書」が送付されており、原告は、残高照合通知書に間違いがないとして、これに署名押印して、被告に回答している。(乙六)
(四) 甲野は、その後、被告の千葉支店から熊谷支店に転勤した。原告は、平成五年一〇月ころ、被告の熊谷支店の甲野に電話し、相京商店名義でした取引で被った損失を埋める方法について、相談をもちかけた。このとき、甲野は、原告に対し、元本保証の金融商品で、損失を埋める方法があると述べた。(甲一一、原告本人)
(五) 原告は、右の相談の結果を受け、被告の従業員である阿部清春に、元本保証の金融商品があるかどうかを問い合わせたところ、同人は商品ファンドがあると述べた(甲一一、原告本人)。
3 甲野に対する金員の預託
(一) 甲野は、その後、さらに熊谷支店から仙台支店になり、同支店の支店長兼営業部長になった。甲野は、平成七年三月三日ころ、原告に電話し、「支店長になったので、金の出入れを自分の権限で決められることになりました。相京商店が金が必要なときは、一週間くらいのうちに元金を現金化できますが、投資しませんか。」などと勧誘した。原告は、甲野が右のような権限を有しているものと信じた。(甲一〇、一一、原告本人)
(二) 甲野は、同月二〇日ころ、原告に電話し、「月利3.5パーセントでまわる商品が出ました。原告のために五〇〇〇万円の枠をとってありますが、どうですか。」などを勧誘した。原告は、これに応じ、元本が保証されることを確認したうえ、同年三月二四日に一〇〇〇万円、同月二七日に四〇〇〇万円(送金額は振込手数料を差し引いた三九九八万八五五八円)を甲野の個人口座に送金した。
右送金に対し、甲野から、同月二八日付けの預り証(甲一)が送られてきた。
(甲一一、乙一二、原告本人)
(三) 甲野は、同年四月の二二日か二三日に、原告に電話し、「月利3.5パーセントでまわる商品が再び出ました。今度は二〇〇〇万円から三〇〇〇万円の枠があります。」などと勧誘した。
原告は、これに応じ、元本が保証されることを確認したうえ、同月二八日に一〇〇〇万円(送金額は振込手数料を差し引いた九九九万九四八五円)を甲野の個人口座に送金した。右送金に対し、甲野からまもなく、同月二八日付けの預り証(甲二)が送られてきた。
(甲一一、乙一二、原告本人)
(四) 甲野は、同年六月一三日ころ、原告に電話し、「もっといいのが出ました。月利四パーセントでまわります。三〇〇〇万円でも四〇〇〇万円でもいいですが、どうですか。」などと勧誘した。原告は、これに応じ、元本が保証されることを確認したうえ、同月一四日に二〇〇〇万円を甲野の個人口座に送金した。右送金に対し、甲野からまもなく、同月一四日付けの預り証(甲三)が送られてきた。(甲一一、乙一二、原告本人)
(五) 右の(二)ないし(四)の預り証は、欄外に被告会社の用紙であることを示す印刷がある横書きの罫紙が用いられ、これに、すべて手書きで記載され(押捺部分は除く。)、表題が「預り証」、本文が「上記金額正に委託証拠金としてお預かり致しました。」と記載され、「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印と印章(縦横それぞれ約二センチメートル強の角判でかなり精巧に製作された印章によっている。)が押され、その下に甲野の住所の記載及び署名押印がある。右の「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印と印章は、甲野が偽造したものであったが、原告は偽造したものであるとは気づかなかった。(甲一一、乙一四、原告本人)
(六) 原告は、阿部清春がかつて原告に対してした説明から、甲野が右の(二)ないし(四)の資金を商品ファンドに投資して運用していると考えていたが、甲野に対し、商品ファンドを買うよう明示して申し出たことはなかった。(甲一一、原告本人)
(七) 甲野は、同年七月中旬、原告に電話し、「ファンド預金している人が急に金が必要になり、あと一週間で満期になるのに、どうしても下ろしたいと言っている。原告が肩代わりしてくれれば、七パーセントの配当をつけます。」などと依頼した。原告は、甲野の右の依頼に応じ、二五〇〇万円を甲野の個人口座に送金した。
(甲一一)
(八) 甲野は、原告に対し、約定利息として同年五月一〇日に一七五万円、同年六月九日に二一五万円、同年七月一三日に二四〇万円の合計六三〇万円を甲野の個人口座から原告の個人口座へ振替えの方法により支払った。(甲一一)
(九) 甲野は、原告に対し、右の(一)ないし(四)の預託金のうち一〇〇〇万円及び(七)の二五〇〇万円(合計三五〇〇万円)を次のとおり返還した(甲一一)。
同年八月一一日 六四〇万円
同年八月二三日 三〇〇万円
同年九月 五日 一二〇三万円(三万円は遅滞料)
同年九月二一日 一三六〇万円
(10) 甲野は、原告に対し、右の(二)ないし(七)の取引は、被告会社には内緒であると述べていた。原告は、自分が女性であるから、自己名義では取引できないが、被告に内緒で原告以外の名義を使用して、原告のための取引をさせてもらえるのだと理解した。(乙一二、乙一四、原告本人)
4 甲野が原告に金員預託をもちかけた背景
(一) 甲野は、甲野の父の親友である小関伸一郎と松本分作からそれぞれ一〇〇万円ずつ借り受けていたが、期日までに返済することができなかった。(甲一四)
(二) 甲野は、平成四年の後半ころ、前記(一)の借入金を返済するため、顧客や知人に対し、「緊急にまとまった資金が入用になった方がいるので、その金を何とか用立ててやっていただけませんか。」とか、「別のお客の取引で利益になっているものがある。資金を預けてくれるのであれば、その利益を差し替えて利益を得られる。」(いわゆる「アンコ」と呼ばれる行為)などと呼びかけて、一か月につき三から七パーセントという高利の短期融資もしくは高利の資金運用を勧誘し、多額の資金を集めた。その際、甲野は、資金提供者の信用を得るため、被告のゴム印及び印章を偽造し、これを押した書面(預り証等)を交付していた。(甲一四、一五、一七、乙一四)
(三) 甲野は、右の元本及び約定利息の弁済金を捻出するため、右資金を自己の判断で商品先物取引等につぎ込んだ(いわゆる手張り行為。被告の就業規則で禁止されていた。)が、通算すると損失を被っていた。甲野の右取引は、被告に露見しないよう他人名義で行われていた。(甲一四、一六、一七、乙一四)
(四) 甲野は、元本及び約定利回りを弁済するために、新たに資金を集め自己の判断で商品先物取引につぎ込み、損失を出すということを繰り返していた。そうした自転車操業的な運用により、甲野の負債は拡大していった。甲野は、資金を集める際、資金提供者に対し、この取引は被告に内緒であると述べていた。(甲一四、一五、乙一四、一五、原告本人)
(五) このようにして、甲野は、十数名の資金提供者から合計数億円を集めていたが、平成七年一二月ついにその資金運用は破綻した。そして、資金提供者の一人である佐々木肇が同月二二日に被告の本店に電話し、被告の営業管理部長の三木武に対し、資金の返還を求めたことで、被告に、甲野の不正行為の実態が発覚した。(甲一五、一六、乙一四、二三)
(六) 被告は、本社において、同月二三日から翌平成八年一月二二日まで、甲野(被告はその調査期間中の同月一六日に甲野を懲戒解雇にしている。)を取り調べ、事実関係を調査した。右調査の中で、甲野の意思に基づく報告書(甲一四、甲一五、乙一四)が作成された。(甲一六、乙二四)
5 原告の返還請求
(一) 原告は、同年八月中旬以降、幾度となく、被告会社仙台支店に電話し、甲野に対し取引の精算を申し入れたが、甲野は「本社に行けばいつでも元金は返してもらえるのだから、心配しないで欲しい。」などと言を左右にし、元金を返そうとしなかった(甲一一)
(二) 甲野は、原告に対し、同年九月二二日までに七〇〇〇万円を返還する旨の預り証(甲四)を送ってきたが、甲野は右期日までに七〇〇〇万円を返還しなかった(原告本人、弁論の全趣旨)。右預り証には、「上記金額正にお預かり致しております。尚返却期日は、平成七年九月二二日とします。」との記載がある。そして、「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印及び印章が押され、その下に甲野の署名押印がある。右の「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印及び印章は、甲野が偽造したものであったが、原告は偽造したものであるとは気づいていなかった。(甲一一、乙一四、原告本人)
(三) 原告が同年一〇月ころ甲野に約定利息の請求をしたところ、甲野は、「被告に発覚するおそれがあるので、今、利息を出すことはできない。」と述べた、原告は、甲野に対し「そんなに悪いことをしているんですか。あまり無理をしないで下さい。」と言った。(乙一二、原告本人)
(四) 原告は、同年一一月、被告の仙台支店に電話し、甲野に対し「一緒に本社に行って精算してください。」と述べたところ、甲野は「年内には必ずお返しします。」と述べ、同年一二月の始めころ、同年一一月三〇日付けの七〇〇〇万円の領収書(甲五)を原告方に持参した(甲一一)。右領収書には、「イタクショウコキントシテ」領収した旨の記載があり、「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印及び印章が押され、その下に甲野の署名押印がされている。そして、右の「豊商事株式会社仙台支店」のゴム印及び印章は、甲野が偽造したものであったが、原告は偽造したものであるとは気づいていなかった。(甲一一、乙一四、原告本人)。
(五) 甲野は、同年一二月一九日、原告に対し、同年四月五日まで数回に分けて七〇〇〇万円の元金及び配当金を返却する旨の念書を差し入れた。右念書には「委託証拠金七千万円の返却について」との題が記載されている。(乙一五の2)
(六) 原告は、甲野が預託金を返還しないため、平成八年一月五日、被告の本社に赴き、重役たちに、ことの真相を質したところ、被告は、以上の預り証や領収書はすべて甲野が偽造したものであり、被告は関知していないと回答した。(甲一一)
(七) 原告は、平成八年一月三〇日、被告に対し、内容証明郵便をもって、預託金七〇〇〇万円の返還を催告した(甲六)。しかし、被告は、右預託金は原告が甲野に対し個人的に貸し付けたものにすぎず、返還には応じられない旨の回答書を発した。(甲七)
二 争点に対する判断
以上の確定事実を前提にして、各争点について判断することとする。
1 争点1(金員預託契約の成立)について
甲野は、被告に内緒で原告から金員を預かり(前記一3)、右金員を原告の具体的な委託に基づかず、独自に商品取引で運用したり、他の資金提供者への利払いに充てており(前記一4)、また、甲野が原告に送付した預り証及び領収書は偽造したものであり、被告からは真正な預り証や領収書が交付されてはいない(前記一3、5)のであるから、原告と被告との間に金員預託契約が成立したとはとうてい認定することはできず、原告の主位的請求は理由がない。
なお、原告は、甲野に預託した金員は被告の仙台市店の実績として業務上の帳簿類にも記載されていたはずであり、それゆえ、甲野は被告から成績優秀者として表彰されているのであるから、名目上はともかくとして、被告が実質上預託金を受けていたと主張する。しかし、被告の営業実績が上がったのが事実であるとしても、それは、被告が甲野の手張り行為の手数料を取得した(かなり高額ではないかと想像され、被告の不当な収入というべきものであるが)というにすぎず、原告と被告との間に預託契約があったことまでを推認させるものではないから、原告の右の主張は採用することができない。
2 争点2(一)(甲野の不法行為責任)について
(一) 甲野は、原告に対し高利回りの商品への投資を勧誘し資金を提供させている(前記一3)が、実際には甲野が勧誘していたような高利回りの商品は存在せず、甲野は、独自に被告を介する商品取引で運用したり、他の資金提供者への利払いに充てていた(前記一4)。
そうした事実によれば、甲野は原告をだまして資金を提供させたというべきであり、甲野が原告に対して不法行為責任を負うことは明らかである。
(二) 被告は、甲野が原告に対し述べていたような元本保証で高利回りの商品が存在しないことは常識であり、原告も分かっていたはずであること、原告は甲野の個人口座に送金していること等を根拠に、原告は甲野の不正な資金運用計画に加担したのであり、甲野に不法行為は成立しないと主張する。
しかし、原告は、被告の別な従業員からの説明によって、甲野が右資金を元本保証の商品ファンドに投資していると誤認しており(前記一3)、具体的には甲野がいかなる取引をしているのかを知らなかった(前記一5)のであるし、また、原告が甲野の個人口座に送金したのは、原告名義による甲野に対する資金提供が被告に内緒であった(前記一3)からにすぎないのであるから、原告が甲野の不正な資金運用計画に加担したとは認められず、被告の主張は採用できない。
3 争点2(二)(職務執行の外観性の有無)について
(一) 甲野が本件金員交付の当時被告の仙台支店支店長という要職にあったこと(前記一3)、金員の預託が被告会社の商品への投資であると説明し、被告会社はその業務において類似した商品を扱っていること、偽造されたものではあるにせよ、甲野は、被告の仙台支店のゴム印及び印章を使用して預り証や領収書を作成し原告に交付していること(前記一3、5)、甲野は、原告に対し、「支店長になったので、金の出し入れを自分の権限で決められる。」などと述べていること(前記一3)、甲野は、原告に対する資金提供の勧誘等の行為をすべて電話で行い、そのほとんどすべて(少なくとも原告から甲野宛の電話はすべて)を被告の仙台支店内の電話を使用して行っていることを考慮すれば、甲野の行為は、外観上被告の事業の範囲内のものとして行われたということができる。
(二) 被告は、支店長には金員の出入れを自分で決める権限はないこと、甲野の交付した預り証や領収書は被告が正規に発行したものでないことは明白であること等を根拠に、原告は甲野に個人的に金員を貸し付けたにすぎず、甲野の行為は外観上被告の事業の範囲内のものとはいえないと主張する。
しかし、支店長にどのような権限が与えられているかは企業によって異なるにせよ、支店長は、その支店に属する業務について、最終的な決定権限ではないにしても、多くの権限を有しているのが通常であり、特に、東京から遠く離れ、かつ、東北地方における第一の都市である仙台市における支店の支店長であれば、その権限はさらに強大であると一般には推察するところであり、被告の仙台支店長が金員の出入れの権限を全く有していないということは異例の観があり、少なくとも、一般の顧客からは、そのような判断はとうてい不可能であること、甲野の交付した預り証及び領収書のゴム印及び印章は、精巧に製作され、偽造であるとは容易に判定し難いことから判断すると、被告の右主張は理由がない。
4 争点2(三)(原告の悪意)について
原告が甲野は支店長として金員の出入れの権限を有していると信頼していたこと(前記一3)、原告は甲野の交付した預り証及び領収書のゴム印及び印章が偽造されたものであるとは気づいていなかったこと(前記一3、5)、原告は平成六年一〇月になって甲野が不正行為に手を染めていることに気づき、「そんなに悪いことをしているんですか。」などと発言していること(前記一5)から判断すると、甲野の取引が被告の事業の範囲に属しないものであったことについて、原告が悪意であったと認めることはできない。
確かに、原告は甲野が被告に内緒で提供した資金を運用していることを知っていたと認められる(前記一3)のであり、この点は被告も指摘しているとおりである。しかし、原告は他人名義を使って取引をすることを被告に内緒にしようとしただけ(前記一3)と思っていたのであり、甲野の不正行為の全容を知って、これを内緒にしようとしていたのではないのであるから、右の認定判断が左右されることはない。
5 争点2(四)(原告の重過失)について
被告は、右の2ないし4の事情のほか、甲野が原告に交付した預り証が手書きであり、被告が作成する正規の預り証とは異なることを指摘し、原告が甲野の不正行為を知らなかったことに重過失があったと主張する。
そこで、判断するに、(1)原告は、平成元年ころから、甲野を担当者とする商品先物取引をしており(前記一2)、甲野に対し個人的に多大な信頼を寄せており、必ずしも被告の会社自体に対する信頼ないしは被告会社における甲野の支店長という地位に対する信頼を形成していたとは考えられないこと、(2)原告は甲野から「支店長になったので、金の出入れを自分の権限で決められる。」と言われていた(前記一3)にせよ、甲野が、原告の居住する千葉市を遠く離れた仙台支店から、千葉支店を全く介さないで、勧誘してきたことについて、その不自然さを当然感じてしかるべきであったこと、(3)預り証がどうして元本保証の投資商品の買付け等の証拠書類になるのか、原告に対し利息の支払が一部されたことについて、被告会社発行の計算書等の正規の書面(被告の商品を購入したならば、被告から「売買報告書および売買計算書」と類似した書面が送られてくるはずであることぐらいは、それまでの原告の取引経験から容易に気づくはずである。)がないことについて、書類上の不備を認識すべきであったこと、(4)預り証にはかなり精巧な被告会社のゴム印及び印章が押されている(前記一3、5)ものの、手書きであり、不自然であることは否めないこと、(5)元本保証で甲野が勧誘したような高利率の商品など常識的にあり得ないこと(そのようにリスクが少なくリターンだけが大きい商品など大会社の販売する商品としてこの世に存在する可能性はないのであり、原告は、甲野から勧誘を受けた時点で、商品の内容に疑いを持ち、そのような商品が本当に存在するのかを被告に問い合わせるべきであったのであり、また、原告は、甲野が商品ファンドに投資していると誤信していたと主張するが、元本償還型の商品ファンドの利回りは低く、このようなことは調べればすぐに分かることである。)、(6)そして、何よりも、送金宛て先が何ゆえに甲野の個人口座であるのかについて、もっと注意をすべきであったのであり、もう少しの注意さえすれば、甲野の不正行為を看取し得たはずである。
そうすると、確かに、(1)支店長の権限の内容は外部からは分かりにくいこと、しかも、(2)原告は、社会経験の乏しい六〇歳を超えた女性であり、商品先物取引を始めたのも、亡夫がしていたからというもので、被告会社の担当者にいいように食い物にされた疑いがあり、商品先物取引や金融商品の知識が乏しく、法廷における本人尋問における質問者とのやり取りをみても、原告と同様な他の被害者の場合はともかくとして、原告は容易にだませるタイプの女性であり、しかも、甲野がそうした原告の性格・能力等を知ってだましにかかったとみられること、(3)原告の申し出た甲野の証人尋問は、甲野の行方不明という事態により、実施できなかったのであるが、甲野の言い分を記した書面(甲一四、一五、乙一四等)は、いずれも被告の立場で作成されたもので、被害者の立場で作成されたものではなく、本来であれば、原告本人の供述に対決するものとして、被告の幹部職員であった者(甲野)の不正行為の解明のためには、被告こそがその職員(甲野)を証人として尋問すべく、その出頭確保をすべきであり、行方不明という事態による真相不解明という不利益は被告こそが負担すべきであることを考えても、前段の事情のもとでは、なお、原告には、甲野の原告に対する不正行為が被告の事業の範囲内であると信じたことに、重過失があったといわざるを得ない。
第四 結論
そうすると、その余の判断をするまでもなく、原告の請求は、いずれも理由がなく、棄却を免れない。
(裁判官塚原朋一)